不倫蔵人殺人事件




歌人で有名な藤原定家の兄、前中務少輔藤原定長の長男、保季(やすすえ)は大納言藤原実宗の養子として元服したが、この度、身持ちに落着きなく好色にして女漁りが過ぎると大納言実宗はいたく立腹し、勘当することにしたと定長に文をよこした。当の保季は、院の蔵人にして前若狭守でありながら、久々に見る定長には容姿端麗を鼻にかけたプレイボーイ気取りで不肖の息子だと顔を顰めたものである。

そのスケコマシの保季をどこで見かけたものか、六条万里小路西に住まう人妻から恋文を受け取りイケメン好きファンレターみたいなものであろうが、好色な保季はその人妻宅に通うようになった。

吉田右馬允親清は斎院次官中原親能の郎党で、近頃どうも愛妻の加那の様子が妙によそよそしく夜伽を厭うような態度をとるので不審に思い、従僕の小童に自分の留守中の様子を見張らせておいたところ、この日、出仕先の六波羅に駆け込んで来て「今しがた、奥方の元へ再三通っている男が来てます」と注進した。急ぎ帰宅した吉田親清は、愛しい妻である加那が白昼あられもない素っ裸で男と交わってる最中の目撃し、激昂のあまり逃げる男を追い六条大路にて間男を斬り伏せてしまった。無惨にも保季は小袖一つ首に巻いた全裸惨殺体として大通りの衆目に晒される。

自宅で泣き伏せる妻から今の間男は前若狭守藤原保季であると聞いて驚いた吉田親清は、絶望のあまり「この不埒者め!」と妻をも斬り、親族である左衛門尉佐々木広綱の屋敷へ逃走した。吉田親清の主人である中原親能の郎党が検非違使に引き渡すからと身元を請け取りに来たがその隙を見て遁走した。

養父である大納言実宗は「馬鹿馬鹿しい白昼、武士の妻に懸想して斬られるとは若狭前国司でありながら破廉恥極まりない!そのような愚か者は既に勘当いたしておる」と不問にしたが、実父である前中務少輔藤原定長の方は不肖の息子ながらも捨て置かれては気が治まらずと検非違使庁別当兼権中納言藤原公継に犯人逮捕を訴えた。

逮捕された吉田親清の処罰について、主人である中原親能が妻女の姦夫を斬るは武家の習いでもある罪一等減じてなんとかならぬかと鎌倉幕府問注所筆頭で弟の大江広元に嘆願し、 気の毒に思った大江広元は執権の北条泰時に相談したが・・・

ここのところは、定長、保季親子の親戚筋である藤原定家(左添付画像) の日記、明月記に詳しく泰時は、「武家の習いなれども事情はどうあれ私闘である郎党の分際で諸院宮の蔵人を白昼殺害するは武士の本意に非ず。検非違使庁で誅されるべき」と言われ嘆き悲しむ。などと当然だという風に書かれてある。

公家である藤原定長・定家兄弟の憤慨する立場もわかるけど公家とも武家とも言い切れない中原親能・大江広元兄弟の嘆きもわかる。哀れなのはやっぱし、藤原保季より吉田親清よね〜。



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