葦
を
刈
る
夫
に
め
ぐ
り
あ
う
話
清
少
納
言
談
今は昔のことでござります…
私は橘則光と別れたあと摂津の守、 藤原棟世と結婚して棟世と一緒に摂津へ赴任したことがありますの。 そのときに前任の摂津の守の北の方の悲しい話しを聞いたことがあります。 その北の方は、若い頃に五条大納言様のお屋敷に侍奉公されていた夫の妻であった そうです。その頃は貧しいながらも夫にまめまめしく従ってそれなりに幸せだった つもりが、ある日、夫が「いつまでも出世できず暮らしが貧しいのは、 そなたが下げまんなのではないかと思う。二人仲良く暮らしたいが、 一緒にいることで二人が貧しくなる運命だとすれば別々に自分の運命を試してみたら どうだろう。見れば、そなたもまだ若いから、もし、まろの方が下げちんなら金持ち になれる可能性があるではないか。」と申して、決してそうは思いません、 たとえ二人で飢え死にしても一緒にいたいと申しても聞く耳もたず泣く泣く別れた そうでございます。
その後、さる屋敷へ雑仕女として奉公するうちにそこの主人の奥方がなくなり、 寝所の夜伽をさせられるうちに後妻になってしまい、その主人が出世してついには 摂津の守となり北の方となって摂津の国へ赴くことになりました。
七年後、別れた先の夫は、 いかに努力しても落ちぶれる一方でついには自ら身を 売り下人となり難波の浦で葦刈りの仕事に従事させられてました。そこへ丁度、 通りがかったのが摂津の守の北の方の一行でその場で休憩していたところ 車の外を眺めると半裸の下人どもの中に慣れない手つきで葦刈りしている男がいる。 どう見ても他の下人たちに比べて由緒ありげで品がある。北の方は「もしや…」と 思い、お付の女房に命じて呼びつけて、一かさねの着物を男に与えた。
男は驚き懼れて着物を受け取ると紙片が添えてあり 「あしからじと思ひてこそは別れしかなどか難波の浦にしも住む」と歌が書いて あった。男は「硯をお貸しくだされ」と述べ返歌する 「君なくてあしかりけりと思ふにはいとど難波の浦ぞ住みうき」 北の方は車越しにこの歌を受け取り涙していると男は「さては下げちんは、 吾であったか!なんの面目あってあいまみえん!」と叫び葦刈り作業にも戻らず その場を遁走したそうにござります。
その後の男の消息については、検非違使尉、平資康から聞いたことがありますが 長くなりますからやめときます。ただ、検非違使から聞いたということだけで 察していただけると思います。
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